素人親子の日々の朝練を中心としたトライアスロントレーニングと、日常を綴ったブログです。
日本トップクラスのトライアスリート『安松青葉選手』に憧れて練習をしています。

2026年5月17日日曜日

周辺100m以内(陸上クラブ運営事情④)

来週から中間テストが始まるしょうたは、朝から晩まで図書館で高校の友達と勉強。
自分としおりは、陸上クラブの外練習後、先週に引き続き、スタジオで出会ったダンスの先生にストレッチ教室をやってもらってから、
これまた昨日に引き続いてOBへ。
しおりは身体が硬いので、怪我をする可能性があるし、股関節の可動域を広げて、足の回転数を上げたり、ストライドを伸ばしたりができるようになりたいね。

OBでは、自分は仕事や陸上クラブの事務作業、しおりは中間テスト対策。
ちなみにママは自宅近くの公民館でダンスの練習をしてたらしい。
しょうたに「昼飯どうしたの?」と聞いたら、OBの向かいにある中華料理屋さんで、食べたんだとか。

家族4人、バラバラのことをしているけど、みんなものすごく近い距離の中で、お互いのやることをやっていたんだな (;^_^A
我が家の周辺というか、都心って、やりたいことが何でもできる環境なんだなって改めて思ったよ!


さて、陸上クラブの運営と今後についての第4弾です。

陸上クラブを作ろうなど、当初は全く思っておりませんでした。
もとはといえば、幼少期より検診に何度もひっかかり成長が非常に遅く、あらゆることが不器用だった長男しょうたが、保育園や学校でいじめられることを心配し、少しでも自信をもってもらおうと、長距離なら努力で報われるはず、と、2人で早朝の親子ランを始めたことがきっかけです。

ただ、今まで、自分自身でもずっと、しょうたとの親子トレーニングの始まりがきっかけだと思っていましたし、このブログ内でも、そして、誰かに説明を求められても、今までもずっとそのように説明をしてきました。
でも、だからといって、無料の陸上クラブを作るという選択肢が生まれるのでしょうか?
考えてみれば、私の生育環境、その後の生活、そして、故郷を襲った東日本大震災というのが、さらなるルーツであるのかもしれません。

~ここから~

生まれた時から、お座りができないまま伝い歩きをはじめ、歩き始めもものすごく遅く、そのまま運動が極端に苦手なまま成長したしょうたでしたが、私はどうだったのかというと、私自身も子どもの頃は小柄で大人しく、ものすごい運動が苦手でした。

おそらく、今、私の周囲にいる人は、私に対しての印象として、活動的で体力があって運動が得意な印象を持っているかと思います。ただ、子どもの頃は違っていました。

そんな私でしたが、母親が地域で卓球をやっていた関係で、小さい時から、母親の卓球の練習に一緒についていき、母親が小学校の体育館で卓球をするのを眺めながら、妹や私達兄妹と同じように親に連れられてきていた子ども達と一緒に遊んで過ごしていました。

今思えば、大人同士は色々といざこざもあったのでしょうが、地域の卓球愛好者の方達は、母親についてきた私達子どもにはすごく優しくて、みんな本当によく可愛がってくださいました。とてもよい思い出です。

私が地域の大人たちから可愛がってもらえたのは、私の母親が地域の人たちや卓球愛好者たちから慕われていたのでしょう。母親の人柄や努力があったことに間違いありません。

地域との関係が希薄になっていく現代社会において、このようなみんなで子どもを育てるというコミュニティは、今でもすごく大事なことなんだなと感じます。この経験も陸上クラブ設立のルーツになったんだろうなと思います。

ところで、始めはみんなが卓球をするのを眺めたり、周りで遊んでいただけでしたが、いつの間にか、みんなが私にラケットを持たせて、空き時間に卓球を教えてくれるようになりました。

皆さんも想像ができるように、卓球はテクニックのスポーツですので、やれば何もしない人よりは絶対に上手になります。

そのため、運動が苦手だった私は卓球ができるようになることで、少しだけ運動が得意になった気分になり、自信がついたのかどうかなのか何故だか未だにわかりませんが、気が付けば、大人しかった私がいつの間にか近隣の子ども達を年齢・性別・学校関係なく、大量に集めて統率する、当時でいうガキ大将になっていました。

自称ガキ大将は痛いですが、田舎ですし、習い事なんて都心の子と異なり、殆どやっていない時代・環境でもあったので、本当に、子ども達みんなを集めて、平日の早朝・平日の夕方・休日は朝から晩まで、みんなで遊んですごしていました。
最高に楽しい時間でした。
ここらへんも、子ども達を集めた陸上クラブの運営のルーツになっているかもしれません。

そのような中、そのまま私はいつの間にか県内の強豪卓球クラブチームに所属し、そこでも毎日の練習が楽しくて、県内各地から集まってくる仲間との交流、他クラブや他中学の選手との触れ合いは最高に楽しい時間でした。

中学卒業と同時に、声をかけていただいた全国制覇を目指す強豪高校に進学しましたが、残念ながら、ここで挫折してしまいました。

私は、子どもの頃から、地域の大人たちに可愛がられながら育てられ、親身に優しく卓球を教えていただきました。そして、毎日、朝から晩まで、地域の子ども達と遊んで過ごしていました。

また、クラブチームに所属してからも、地域の子ども達と遊んでいたのと同じように、年齢・性別・学校関係なく、みんなでワイワイしながら練習する環境で、毎日の練習が本当に楽しく、厳しさなんて皆無で、楽しい練習だけで、気が付けば、そこそこうまくなっており、学校や県内の卓球界からも多少は一目置かれる存在になっていました。

とにかく温室育ちだったんですね。普段の生活も卓球も、ただひたすら楽しいだけだったんです。

でも、強豪高校は全然違うんですね。楽しい練習ではなくなってしまいました。
練習に楽しさなど必要なく、結果と実力だけが求められ、そもそも、井の中ではそこそこの選手でチヤホヤされていい気分だった私が、強豪高校に行くと並みの選手で、誰もチヤホヤせず、むしろ、私を出し抜いてやろうという選手しかいませんでした。
入学当時は自分より実力が下の選手が、どんどんうまくなってくるプレッシャー、当時は今とは全然異なり、上下関係も厳しく、体罰なども当たり前の時代で、朝昼晩、休日も毎日練習で、結果だけが求められる実力だけの世界でした。
大好きだった仲間たちや地域の友達と遊んだり、過ごしたりする時間も全くなくなり、あんなに楽しかった卓球が、いや、毎日の生活が途端につまらなくなってしまい、あっさり卓球を辞めてしまいました。

本当に一流の選手になるためには、この環境にも耐えていかなければいけなかったのかもしれません。

ただ、私は今でも、あのまま頑張っていれば・・・・・という後悔の念は正直殆どありません。

それよりも、地域の大人たちに可愛がってもらえたこと、朝から晩まで知ってる子も知らない子もみんなで一緒になって遊んで過ごしたこと、クラブチームで仲間たちと毎日楽しく練習をして過ごしたこと、、、、これらの経験や時間が、私の人生にとって、本当に最高の思い出だったなぁ・・・・・と、いつも思い返しています。

あの時、私を可愛がってくれた大人達はもう死んじゃった人も多いですが、でも、同年代の地域の子ども達もクラブチームの仲間の多くが、今は、日本中いや世界中に散らばって、どこかで頑張っていることかと思います。

そのような最高の時間を経験として持っている私ですので、今の年齢になっても、何か辛いことや大変なことがあっても、その最高に楽しかった時間を思い出せば、ちょっとやそっとのことでは、へこたれません。

そして、その最高の時間というのは、別に多額のお金や難しい条件をクリアしなければ、作れなかったかというと、そうではありません。作ろうと思えば、今からでも作れるでしょう。私の子どもはもちろんのこと、地域の子ども達にも作ってあげることができるでしょう。

私と同じように、地域から可愛がられ、楽しい思い出をもって育った子どもはとても強くなれるんじゃないかなと思います。

私の陸上クラブが、私が経験してきた空間になれるようにしていきたいなと常々考えています。


すご~く長くなりました (;^_^A

でも、少しづつ私が設立した陸上クラブの目的や、期待している役割を思い出していくことができています。

まだまだ続きますよ!


■今日のトレーニング
 しょうた:テスト勉強
 しおり :陸上
■今日の勉強
 宅建:0.00H(31.25H)
 システム:8.0H(505.25H)
■今日の健康チェック
 朝 1回目:/()、2回目:/ ()
 夜 1回目:/()、2回目:/ ()

 体重 :未計測(1/6時点:64.15kgから、5/12時点△3.25kg)  

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