ちなみにママは自宅近くの公民館でダンスの練習をしてたらしい。
家族4人、バラバラのことをしているけど、みんなものすごく近い距離の中で、お互いのやることをやっていたんだな (;^_^A
~ここから~
生まれた時から、お座りができないまま伝い歩きをはじめ、歩き始めもものすごく遅く、そのまま運動が極端に苦手なまま成長したしょうたでしたが、私はどうだったのかというと、私自身も子どもの頃は小柄で大人しく、ものすごい運動が苦手でした。
おそらく、今、私の周囲にいる人は、私に対しての印象として、活動的で体力があって運動が得意な印象を持っているかと思います。ただ、子どもの頃は違っていました。
そんな私でしたが、母親が地域で卓球をやっていた関係で、小さい時から、母親の卓球の練習に一緒についていき、母親が小学校の体育館で卓球をするのを眺めながら、妹や私達兄妹と同じように親に連れられてきていた子ども達と一緒に遊んで過ごしていました。
今思えば、大人同士は色々といざこざもあったのでしょうが、地域の卓球愛好者の方達は、母親についてきた私達子どもにはすごく優しくて、みんな本当によく可愛がってくださいました。とてもよい思い出です。
私が地域の大人たちから可愛がってもらえたのは、私の母親が地域の人たちや卓球愛好者たちから慕われていたのでしょう。母親の人柄や努力があったことに間違いありません。
地域との関係が希薄になっていく現代社会において、このようなみんなで子どもを育てるというコミュニティは、今でもすごく大事なことなんだなと感じます。この経験も陸上クラブ設立のルーツになったんだろうなと思います。
ところで、始めはみんなが卓球をするのを眺めたり、周りで遊んでいただけでしたが、いつの間にか、みんなが私にラケットを持たせて、空き時間に卓球を教えてくれるようになりました。
皆さんも想像ができるように、卓球はテクニックのスポーツですので、やれば何もしない人よりは絶対に上手になります。
そのため、運動が苦手だった私は卓球ができるようになることで、少しだけ運動が得意になった気分になり、自信がついたのかどうかなのか何故だか未だにわかりませんが、気が付けば、大人しかった私がいつの間にか近隣の子ども達を年齢・性別・学校関係なく、大量に集めて統率する、当時でいうガキ大将になっていました。
そのような中、そのまま私はいつの間にか県内の強豪卓球クラブチームに所属し、そこでも毎日の練習が楽しくて、県内各地から集まってくる仲間との交流、他クラブや他中学の選手との触れ合いは最高に楽しい時間でした。
中学卒業と同時に、声をかけていただいた全国制覇を目指す強豪高校に進学しましたが、残念ながら、ここで挫折してしまいました。
私は、子どもの頃から、地域の大人たちに可愛がられながら育てられ、親身に優しく卓球を教えていただきました。そして、毎日、朝から晩まで、地域の子ども達と遊んで過ごしていました。
また、クラブチームに所属してからも、地域の子ども達と遊んでいたのと同じように、年齢・性別・学校関係なく、みんなでワイワイしながら練習する環境で、毎日の練習が本当に楽しく、厳しさなんて皆無で、楽しい練習だけで、気が付けば、そこそこうまくなっており、学校や県内の卓球界からも多少は一目置かれる存在になっていました。
とにかく温室育ちだったんですね。普段の生活も卓球も、ただひたすら楽しいだけだったんです。
本当に一流の選手になるためには、この環境にも耐えていかなければいけなかったのかもしれません。
ただ、私は今でも、あのまま頑張っていれば・・・・・という後悔の念は正直殆どありません。
それよりも、地域の大人たちに可愛がってもらえたこと、朝から晩まで知ってる子も知らない子もみんなで一緒になって遊んで過ごしたこと、クラブチームで仲間たちと毎日楽しく練習をして過ごしたこと、、、、これらの経験や時間が、私の人生にとって、本当に最高の思い出だったなぁ・・・・・と、いつも思い返しています。
そして、その最高の時間というのは、別に多額のお金や難しい条件をクリアしなければ、作れなかったかというと、そうではありません。作ろうと思えば、今からでも作れるでしょう。私の子どもはもちろんのこと、地域の子ども達にも作ってあげることができるでしょう。
私と同じように、地域から可愛がられ、楽しい思い出をもって育った子どもはとても強くなれるんじゃないかなと思います。
すご~く長くなりました (;^_^A
でも、少しづつ私が設立した陸上クラブの目的や、期待している役割を思い出していくことができています。
まだまだ続きますよ!
体重 :未計測(1/6時点:64.15kgから、5/12時点△3.25kg)
0 件のコメント:
コメントを投稿